性教育の不在がもたらす構造的被害──規制・表現・教育の三角問題

表現規制に関する学術的政策批評

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第6章 結論

本資料で調査・検証した内容を総括する。

第一に、「有害」の定義は観察者の文化的・道徳的前提に依存しており、普遍的根拠を持たない。

第二に、規制の論理は「性的表現が犯罪を誘発する」という未確立の因果関係に基づいているが、逆に抑止として機能している事例が存在し、この因果関係は普遍的には成立せず、逆方向の事例も存在する。

第三に、性的加害は教師→生徒、生徒→教師、医師→患者、患者→医師、生徒間、親子間の全方向で発生しており、「加害者=大人、被害者=子ども」という一方向の前提は現実を正確に反映していない。

第四に、性教育の不在こそが性被害の根本原因である。教えないから判断能力が育たない、判断能力がないから加害も被害も発生する、発生した被害を性的表現のせいにする、そしてさらに教えなくなるという悪循環が、小学校の段階から回っている。

第五に、「子どもに判断能力がない」という前提は、教えないことの結果を教えない理由に転用した循環論法であり、しかも暴力表現と性的表現で評価が二重基準になっている。

第六に、エロゲーの一部作品は関係性を通じた性の理解という教育的機能を持つ場合があり、AV業界には厳格な品質管理が存在する。にもかかわらず、これらはラベルだけで排除されている。一方、実在の子どもが関与する写真集等は「芸術」のラベルで許容されるという非対称性が存在する。

本資料の最終的な結論は以下の通りである。

子どもを本当に守るための唯一の手段は、性を正面から丁寧に教え、判断能力を育てることである。教育の責任を放棄しながら規制の権限だけを握る現在の構造は、子どもを守るどころか、教育機会の剥奪を通じて被害を拡大させている。