表現規制に関する学術的政策批評
「性的表現は有害である」という命題は、規制の出発点として広く共有されている。しかし、この命題を構成する「有害」という評価が、いかなる基準に基づいているのかを追跡すると、普遍的な根拠に到達しない。
「有害」を定義しうる候補は四つ存在する。法律、企業判断、AIフィルタ、社会的合意である。しかし、法律は国と地域によって全く異なる文化的産物であり、企業判断はその方針の根拠が不明であり、AIフィルタは学習データの偏りに依存し、社会的合意は時代と文化によって変動する。いずれも「特定の立場からの評価」であって「対象に内在する客観的属性」ではない。
| 定義の候補 | 根拠の追跡結果 | 普遍性 |
|---|---|---|
| 法律 | 国・地域により全く異なる → 法律自体が文化的産物 | なし |
| 企業判断 | 企業の文化的バイアスに依存 → 方針の根拠が不明 | なし |
| AIフィルタ | 学習データの偏りに依存 → フィルタ基準の根拠がない | なし |
| 社会的合意 | 時代と文化で変動 → 合意の正当性が未検証 | なし |
つまり「性的表現は有害である」という命題は、特定の文化・道徳・宗教的前提から発せられた評価であり、その前提自体は未検証のまま制度化されている。
さらに、「性的」という属性そのものが観察者に依存することを、具体例が証明している。ミケランジェロのダビデ像は美術史的には最高の芸術作品だが、SNSのAIフィルタでは裸の男性像として遮断対象になる。授乳写真は医学的には自然だが、一部プラットフォームでは露出として削除される。同一の対象が、評価者の前提によって「芸術」にも「猥褻」にもなる。
規制側の論理を形式化すると以下の構造になる。
前提:性的表現は有害である → 結論:だから規制する → 根拠:犯罪を誘発するから → 反証:カタルシス仮説を支持する事例が存在する+モデリング仮説を支持する事例も存在する → 双方に部分的証拠があり因果関係が一方向に確定できない → 規制根拠の不十分性
学術的には、カタルシス仮説(代替的に欲求を処理することで実行動が抑制される)とモデリング仮説(表現に触れることで模倣行動が促進される)の両方に部分的な証拠が存在し、どちらも普遍的な因果法則としては確立されていない。
| 仮説 | 主張 | 証拠の状態 | 結論 |
|---|---|---|---|
| カタルシス仮説 | 性的表現が代替手段として機能し、犯罪を抑止する | 部分的に支持する事例あり | 未確立 |
| モデリング仮説 | 性的表現に触れることで模倣行動が促進される | 部分的に支持する事例あり | 未確立 |
因果関係が確立されていないにもかかわらず規制が存在するということは、規制の真の根拠が科学ではなく、文化的・道徳的前提の制度化にあることを意味する。
ただし一点、ほぼ全ての立場で合意が取れる線が存在する。それは「実在の被害者が存在するかどうか」である。実在の人間が直接的に被害を受ける表現の制作過程には、明確な加害行為がある。この線は文化的前提ではなく、実害の存在という事実に基づく。